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早すぎた引退が心残り

20回生(昭和43年卒) 佐藤 広司

 

 夢に見た高校生活が始まり、何らかの運動クラブに入ろうと考えていた私は、放課後、友人と2人で部活見学に行ってみた。野球、サッカー、テニス・・・とてものこと私に才能があるとは思えない。
 そんな時、赤いジャージで筋骨隆々(と見えた。実際には、大袈裟なプロテクターに身を包んでいただけであった)の若者たちがグラン
ド狭しと走り回っているのが目に入った。小さい頃から、体力と走ることだけには自信のあった私は、「入るのだったらこれだ!」と閃いた。そんな私の心の中を見透かしたように、人相の悪い2人の男が近づいて来て、「お前ら、入らへんか?」と声をかけてきた。連れ込まれた所は、ジャージやパンツが一面に散らかり、部屋全体に異臭が漂う暗い部室。そんな中で色々と甘い言葉を聞かされ、それでも決断出来ない私に投げかけられた言葉は、「入れへんねんやったら、それでもええけどな・・・」と半ば恐喝。そんな言葉に脅されて「入ります」と言ってしまったのが運のつき、いや幸運の始まりであった。
 入部して、はじめて知った勘違い、ラグビー部に入部していたのである。当時、ラグビーはまだまだマイナーな競技であり、私もラグビ
ーが何たるかを知る由はなかったが、同様にして"騙されて"入ってきた仲間達とともに、日々真面目にしごかれている内に何とか様になってきた。秋には六甲高専(現神戸高専)との練習試合でデビューしたものの、その試合で私が演じた愚挙を思い出すといまでも冷や汗がでる。ボールを掴んで走ったら前が開いている。「スワッ、初トライか」と思ったのもつかの間、何処からか聞こえた(気がした)「ダウンボール」の声。パブロフの犬も真っ青の条件反射で、その場にボールをおいて何処へやらである。(ああ、哀れ)ルールも満足に知らない奴を試合に出すな。だから、星陵は勝たれへんねんである。事実、その当時の星陵は連戦連敗であったと記憶する。(間違っていたらごめんなさい)
 しかし、今振り返ると、この試合が我々の時代の幕開けであったと思う。その後、勝つことを覚えた星陵は、練習試合を含め13連勝し、
神戸市内大会優勝を経て、3年の夏の県大会では決勝戦で惜敗、準優勝するまでの実力チームに成長していたのである。(決勝で破れたのは、当時、我々が"打倒尼東"と目標にした県最強チームの県立尼崎東高校である)思えば、我が青春を謳歌していた時代ではあった。
 振り返って、ただ一つの心残り。当時の実力から考えて、秋の県大会でも優勝の最有力候補であり、正月に行われる全国大会への出場も
夢ではなかったにもかかわらず、夏の県大会2位に満足して、受験勉強を口実に引退してしまったことである。今思えば、全く素人の我々を、なだめたり、すかしたりしながら手塩にかけて育ててくださった西村先生と武川先生こそ、どれほど悔しかったかと思い知る。なぜもう一度頑張りますと言えなかったのか。
 ラグビーは、"楽苦備"と表すそうである。楽しさと苦しみを兼備し、苦しさのあとには楽しみが待っている。"楽苦備"。私にとって、"楽
苦備"はまさしく青春であった。西村先生、武川先生をはじめ、大勢の先輩、仲間、後輩に支えられながら過ごしたこの"瞬間"はもう戻ってはこないけど、私の記憶の中から決して消えることはない。

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20回生 (S.43卒) 部員

 

 井 上  夏 樹

 松 下  清 人

 有 末  信 夫

 大 隈   実

 金 子  清 次

 久 保  隆 司

 佐 藤  広 司

 中 川  正 晴

 浜 松  理三郎

 平 峯  隆 志

 吉 留  光 広

 和 田  二 郎

 越 智  展 子

 形 山  千恵子