「楽苦備」
19回生(昭和42年卒) 伊勢田 信夫
(旧姓・今栄)
「君ら部活決めた、一緒にラグビーしよう」
垂水中学出身の者と「タッチフットボールに入ろう」と、中庭で話し合っていた時のことである。赤ら顔でにこにこしながら、とてもラグビー部とは思えないスマートな人、18期の河野さんである。
「タッチフットボールに入ろうと思っている」「やめとき、あそこは指導者がいない」「格好ええやん、ラグビーは泥んこやろ」「ラグビー部は日体大を卒業したての先生が指導してくれるんや」
そうこう話しているうちにタッチフットボール部の部室の前を通過し、一番奥のラグビー部に入ることになってしまった。その途中、高鉄棒のところで出会った垂水小学校で一緒だった笠井俊昭君は当初からラグビーをやる気でいた。
練習と言えば垂水海岸まで走り、砂浜を試合時間に合わせて25分間ただ走る。当時の垂水海岸は福田川から天神川の間は砂浜で、現在のようなコンクリートではなかった。その最後を西村先生が追いかけてくる。先頭が25分を目安に走るのであるから、我々受験勉強で運動不足になっている者はそれ以上の時間を走っている。スタート直後は小さな小川を飛び越えるだけの元気はあったものの、しばらくするとな
りふりかまわず、ざぶざぶと水の中を走る始末であった。
その後は砂の上でのタックルの練習。ラグビーのルールを何も知らないままただひたすら、タックルの練習に励んだ。
初めての練習試合は、当時、報徳学園と花園行きを争っていた六甲高専。僅差で負けたが誰も勝とうとは思っていない。ルールも知らず、試合になるかどうかの方が心配であったが、西村先生の「タックルで始まってタックルで終わる」の言葉通り、ディフェンスは完璧であった。トライの味を知らず、数試合後の初トライでは、試合中、全員が飛び上がって喜んだものである。
19・20期では、神戸市大会で兵庫高校に負けて2位、県大会で県立尼崎高校に負けて3位などまずまずのチームであった。
19回生 (S.42卒) 部員
笠 井 俊 昭
本 谷 豊
伊勢田 信 夫
(旧 今栄)
土 井 繁
中 川 泰 一
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