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狂気のスパルタ時代

37回生(昭和60年卒) 水田 純夫

 

 37回生のメンバーを紹介します。

 水田・田中・安井・結城・川上・岸本・繁田・村西の8名が、県総体まで残り、花園予選には、水田・田中・安井の3名が残りました。三宅体制もちょうど脂がのってきたところで、スパルタ時代の真っ只中でした。

 特に、赤色のSSSターボが毎夜出動し、ライトの灯りでのランパス、タックルの根性練習は、さすがに狂気の沙汰でした。

 1年の時に20数名の部員が、10数名に減り、2年の夏前後には、とうとう上記のメンバーしか残らずという様に、ハードさでは村野工業以上の時代でした。

 学校に来て練習が始まるまで、寝てるか、飯を食ってるかで、教師の間では、とんでもない集団となってしまい、各テストのワースト20の中には、ほとんどがラグビー部員の状況でした。

 そのせいもあり(元々悪いのかも)、三宅先生への風当たりもきつくなった様で、次回ワースト10以内の者は五分刈りにするという戒厳令が出されたものの、残念ながらといいますか、予想どおりといいますか、ワースト10は全員ラグビー部でした。

 3年になり、総体はベスト8、花園予選は準決勝で報徳との対戦で、下馬評(神戸新聞の対戦みどころ)では、バックスラインの展開力に期待とされていたように、残った3名はすべてバックス。WTBにはワールドに入った下宝をそなえ、ボールさえ出ればという願いも、防戦一方の展開となり、後半にようやく返したサインプレーの1トライのみで終わり、涙をのみました。残念な最後となりましたが、2年生を中心に1年生も含め頑張ってくれたおかげで、何とか報徳戦まで辿り着くことができ、この誌をかりて、"ありがとう"の言葉をおくり、締め括りたいと思います。

 又、この度の記念誌発刊にご尽力されておられる諸先輩方、御苦労様でした。

37回生 (S.60卒) 部員

 

 水 田  純 夫

 田 中  佳 成

 岸 本  一 宏

 安 井  洋 一

 結 城  正 人

 川 上  直 人

 村 西  智 宏

 繁 田  富久夫