「鬼の三宅」時代
36回生(昭和59年卒) 正木 克己
卒業してから16年も経つとなかなか細かい所までは思い出せませんが、それでも私にとって(たぶん同期の部員達にとっても)高校のラグビー時代が一番楽しい時期だったと思います。
当時、ラグビーブームの影響もあって入学当初は26名程いた同期の部員も、卒業まで続いたのは9名。部活と受験の両立はやはり難しいものでした。もっとも受験勉強というのは口実で、三宅先生の厳しい練習についていけなかったのが事実かもしれませんが・・・。
私も何度となくやめたいと思ったものです。その都度、仲間に励まされ気が付けば3年間、今思い出すとあんな練習をよくやったもんだと我ながら感心します。後輩から聞くところによれば、三宅先生が厳しかった時期もその後数年。『鬼の三宅』も『仏の三宅』に変わったとか・・・。先生も若かりし日の話です。
当時、我々のラグビー部時代にはいくつかの『事件』がありました。事件といってもややこしい事件ではなく、部員のだれかがやった些細なことを部室で大騒ぎして大事件にしてしまうことです。これはひとつ上の先輩から引き継いだものでした。
卒業後も酒が入ると話題はこの『事件』のことです。岡本史郎の『おお怖~事件』、ゴジャの『山辺~あと何周?事件』などなど・・・。その時その場に居なければなんの事かわからない『大事件』の数々が、同時期をラグビー部で過ごした者にとっての共通の思い出として今も残っています。
現役の皆さんにも『事件』作りをお勧めします・・・。詳しくは36回生の三好まはた西村まで。
P.S マネージャーは大切にしましょう。俵さんありがとう。
36回生 (S.59卒) 部員
長 束 英 正
三 好 隆 之
西 村 利 男
水 山 貴 統
武 貞 博 司
藤 原 啓
正 木 克 己
岡 本 史 郎
近 藤 富士男