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走り負けぬ星陵ラグビー

27回生(昭和50年卒) 酒井 亮一

 

 星陵高校を卒業して25年になり、当時のことを思い出しながら回想してみたいと思います。我々、27回生の部員を紹介します。しゃくれ顎の伊地智キャプテン。ポジションはFWプロップで、キャプテンですが、無口で黙って仕事をするタイプでした。スクラムワークはうまく、FWのささえでした。次に、猪突猛進の永田。ポジションはFWロック。とにかくボールを持つとまっすぐ突っ込み、ボールを持った敵が来ると何も考えずにタックルする。といった具合で、何度か?味方のしかも上級生にタックルして、怒られていることを記憶しています。次に、ぼくちゃんタイプの冷水(しみず)。ポジションはTCBウィングとFWフッカー、HBスタンドオフ。彼は上背が160cmぐらいで小柄ですが、知的プレーヤーで、相手がキックをしてくる場面になると、その流れをいち早く読み取り、誰よりも早く落下地点にいました。何度もピンチを救ってくれたのは彼でした。次に、今回の記念誌の編集長である文句言いの野呂。ポジションはHBスクラムハーフ(1年生の時は、FWフッカー)で、とにかくFWに文句を言って、FWを動かすことに生きがいを感じていました。もちろん、スクラムハーフとしてのパスは一流で、スクラムサイドの潜りも素晴らしいものがありました。最後に、酒井です。ポジションはHBスタンドオフとTCBセンターで、やたらタックルばかりしていた記憶があります。以上、5名の部員だった為、上級生及び下級生に加えて、柔道部や陸上部から人間を借りて来て、試合をした記憶が残っています。

 当時の記憶で印象に残っているのは、先ず第1に、夏の合宿で、1年の時は神戸高専のグランドで、他校(高専と赤塚山高校だったと思います)と一緒に行ったと思います。3部練習で、とにかくしんどかったのと、進駐軍払い下げの簡易ベッドで寝た記憶が鮮明にあります。タックル練習で、お尻の横にビフテキができて、自家製のスライディングパンツを付けていても、傷の上にまた傷が出来ました。合宿の時とは違いますが、今は無き芝生の中庭でタックル練習をした記憶があり、だるま(西村先生の愛称ですので紙面ではだるまと書かせて頂きます)が練習台になって、だるまが良しと言うまでタックルさせられました。この時、在校生が集まりこの練習を見学していた事も覚えています。冬の練習では、初めにランパス100本だけ言われて、ひたすらランパス(グランドの東西の方向にダッシュで100往復)だけの練習で、途中でだるまが体教(体育教官室)に戻った間は手抜きをして、戻ってくるのを交代で監視しながら練習したものです。走る練習では、陸上部の200mトラックで、400mタイム練習(1回毎に75秒、70秒、65秒以内と時間制限をつけて、オーバーすると切れるまで走り続ける)と10km40分走が印象的でした。この練習で、短距離も長距離にも自信がつき、走り負けなくなりました。今にして思えば、だるまの練習は「タックル」と「走る」練習ばかりでしたが、特に飛び抜けた選手のいない公立高校が勝つ為には、一番重要な事ではなかったかと思います。

 試合の記憶では、我々が1年の時の新人戦で兵庫高校に8対9で負けた試合ですが、星陵には2年に上手い選手が多く、この試合への意気込みは格別なものがあり、我々1年生も試合後、部室で呆然とした記憶が鮮明に残っています。次に、3年の時の国体予選で、神戸高校にワントライでひっくり返せる試合で、最後のワンプレーでフルバックが抜け出て、その後センターの小生にリターンパス、小生が相手のフルバックと1対1で外に抜き去れば逆転のプレーを内に切れ込んで、ジ・エンド。これ以来、「内抜きの酒井」と呼ばれたプレーで、今もって悔しい思いを持っています。

 付け加えて申し訳ございませんが、練習の主体がだるま先生であった為、だるま中心の話になりましたが、武川先生の記憶としてはステップを教えてもらった時に、革靴で鋭いステップを切っていたことが思い起こされます。

 最後になりますが、だるま先生及び武川先生の退官を迎えるに当たって、常にラグビー=星陵ラグビー=だるまであった事は、だるま先生が星陵ラグビーをいかに育てていこうかと考えられていた事、大事にしていたかが良く理解できるとともに、我々の誇りです。長い間ご苦労様でした。お体に気をつけて下さい。ありがとうございました。

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 酒 井  亮 一

 冷 水  歳 文

 野 呂  雅 之

 伊地智   哲