奇妙な執着心
25回生(昭和48年卒) 村松 昇
そもそもラグビーなどまったく知らなかった私が、なぜ、星陵でラグビーをするようになったかというと、たまたま1年の入学時に席が近かった堀田君から「ラグビーは男のスポーツだ」と誘われたからである。他の新入生達も、あまり変わりのない様な理由で入部してきたわけで、当然全員、ラグビーなど見た事もない者ばかりでした。
当時の星陵ラグビー部は、県下ではトップクラスで、23回生の6人は全員そのポジションでは県下では知らない者がいないという人ばかりでした。24回生は人数も多く、チームの主力でした。しかし、私達25回生は人数も少なく、身体能力も低く、先輩達に常に支えられて、プレーをしていました。
その結果、その年の冬、初めて全国大会県予選の決勝に出場させてもらいました。結果は村野工業に負けましたが、芝のグランドでの試合は一生の思い出です。その後の近畿大会への出場も、24回生に連れていってもらいました。この時は部員が13人しかいなくて、2名は柔道部とバレー部に応援してもらい、15人ギリギリで予選から勝ち上がりました。特に、準決勝の県伊丹戦は、一人が駅を間違えて試合に来れず、途中で藤田さんがケガで退場して13人で戦うという、まさに全員一丸となっての戦いの連続で出場しました。
やがて24回生の卒業で、チームの主力は26回生となりました。結局、私達25回生で、最後までチームに残ったのは4人だったと思います。25回生はプレーが上手でもなく、またラグビー一直線といった熱血でもありませんでしたが、決してプレーを投げ出したりもしませんでした。この奇妙な執着心が持ち味でした。
3年最後の試合、姫路工業に負けた時、声を出して泣く事はなかったが、無言で淡々と着替えていた空虚な瞳が、私達25回生のラグビーへの思い入れの姿でした。
25回生 (S.48卒) 部員
村 松 昇
勝 康 行
河 村 彰 夫
佐 竹 千 秋
鳥 井 高 志
堀 田 委 和
大 橋 章 夫
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