”我が青春のラグビー”
23回生(昭和46年卒) 高原 浩二
編集委員の方に尻をたたかれながら、この文章を書いているのであるが、昔のアルバムを開くと「第23回生卒業記念」とある。となると、私は23回生ということであろうか。間違っていたら許して頂きたい。
あらためて紹介させて頂くと、私は23回生の高原。最後のポジションは左のフランカーである。私が主将をさせて頂いていたのは同級生の意見でなく、先生と上級生により指名されたように記憶している。当時の私は練習をよくサボッたり、決してラグビーに打ち込み青春をかけているふうでもなかった。少しヤル気をおこさせようという先生方の考えがあったのかもしれない。
我々のチームは星陵の伝統的な小粒そろいをしっかりと受けついでいたので、スクラムは本当に苦労した。強いフォワードを持つ相手とは、スクラムを組んだ途端1メートルも押され、あげくの果てにはひっくり返され「もうあかん!」と、何度思った事か・・・しかしながら、非常によく走るチームで、数少ないチャンスをつかむと、リズム良くボールを回し、決定力のあるバックスでトライに結びつけていた。押され続けられてはいるが、相手のスキを突き、ノーサイド寸前に勝点を奪い勝利する、というパターンが多かったのではなかっただろうか。相手チームにすれば、「なんであんなチームに敗れたか」という思いだろう。
ボールの支配率では相手より劣るため、相手のキックボールや、タックルからチャンスをつかむしかなかった。その為にタックルやセービングの練習は厳しかった。今でも思い出されるのは、夏合宿の学校の中庭でのセービングの特訓である。何十回となくボールが転がされ、フラフラになり、起き上がれなくなるまで続くのである。だれからともなく、その練習を円陣の中でやった事から「円陣シゴキ」と呼ばれ、恐れられていた。
このような厳しい練習を一緒にやった仲間を、忘れる事は無い。
47歳になっても、いっこうにしっかりしない私ではあるが「ラグビー部で主将をしていた」という事実だけで、ちょっと違う目で見られる事もある。このような将来も考え、私を主将に指名して下さった西村先生、武川先生、そして先輩やチームメイトに感謝する。
星陵ラグビー部、本当にありがとう。
23回生 (S.46卒) 部員
矢 追 秀 俊
石 井 剛
片 岡 良 史
高 原 浩 二
馬 場 孝 次
竹 林 輝 行
(旧 浜松)
馬 越 弘 子
(旧 長谷川)
木 田 伸一郎
安 田 正
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