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青春に戻れる思い出を大切に

18回生(昭和41年卒) 河野 健一

 

 私たち18回生にとって一番の思い出というか、心残りは3年間、公式戦に一度も勝つことができなかったことです。
 個々の能力は、ある程度あったように記憶しています。とにかく試合になると能力の半分も発揮できないチームでした。言い訳になりますが、練習試合の機会が少なく、試合慣れしていなかったことが主な原因ではなかったかなと思っています。
 当時のラグビー部の練習は、基礎練習主体の結構ハードなもので、中でも一番いやだったのが生タックル練習でした。顧問の西村先生も赴任2年目で、日体大で鍛えられた筋肉、特に競輪選手も真っ青というような物凄い太股で、そのうえ短足(?)なので、そこへ生タックルすることがどれだけ生徒にとって大変であったか、想像していただけると思います。
 六甲高専(現神戸高専)に1年先輩の「忍者」と呼ばれていたフランカーの選手の変幻自在な動きにあこがれ、尼崎産業には「牛」と呼ばれる大柄でキックのうまいスタンドオフがいて、バックラインの後ろへ深いキックをけられる同じ戦法で2度負けた悔しさ、小石の多く残っていた第2グランドでのセービング練習でできたお尻のビフテキ(円形の擦傷)が痛かったこと、あれこれ思い出はありますが、高校の3年間ラグビーを続けられたことが、今振り返れば一番良かったかなと感じています。おかげでいまだにラグビーから離れられずにいます。これも幸せなことかもしれませんが。
 これからも同期の仲間との青春時代に戻れる「タイムマシーン」としてラグビー部の「思い出」を大切にしていきたいと思っていま
す。
 最後になりましたが、今回の50周年記念誌発行に際し、ご尽力いただきました方々に深く感謝申し上げます。できればこれを機会にOB会を整え、ラグビー部の発展(花園出場)にOB会としてバックアップができる体制を作ればと願っています。

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