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勇ましい後輩たち

13回生(昭和36年卒) 堀上 統央

 

 創部50周年と聞かされ、何時が創部だったか計算すると我々の頃から始まったように算術上は思うのだが、実は私達の先輩がいて、その人達が、何かの事故で廃部状態になっていた。その部を私達の2年先輩の浦さんが1人で部をお守りしていたのです。

 そのラグビー狂の当時3年生の彼に通学の長田、垂水間の電車の中で口説かれ、騙され始めたのが、私の入部の馴れ初めで、我々の学年で悪ガキ、落ちこぼれで寄せ集め15名を揃え、頭数だけは試合ができるようになった。勿論、彼と我々の間には12回生で2~3名は彼にだまされ嫌々練習をしていた。我々の1年先輩の1人に現日本タクシー社長の愛称熊さんたる人物もいた。彼も素質はあったかも知れぬが、練習は好きではなかったように記憶する。その性格は今も仕事上で脈々と続いているのではなかろうか?社長に納まっているのは人生の長年の知恵のおかげと確信している。

 ともあれ、そうした連中が1年生を主にして作ったチーム、強い訳がない。できたての頃は体育の授業のクラブでない、2年生や3年生と練習マッチをやり敗けていたと思う。最も大敗の記憶は、当時県代表の村野工業高校に100対0。これは我々の脳裏からはなれない。正確には98対0かも知れない。たぶんスコアラーが面倒くさくて100という数をいれたと私は信じたい。

 そうしたチームも時の流れと云うものはおそろしい。我々が3年生になった頃は、神戸市内大会の準決勝戦に参加するチームに成っていた。

 そして我々の1年後輩の諸君は、市内東西対抗戦では星陵より西軍代表として、3名程は選ばれていたと思う。

 その優秀な後輩の1人、鈴木君がタックルの練習中、私の足に飛び込んだ。彼が脳震盪をおこし、数日間保健室で意識不明になった事件もあった。その事は、私の親はいまだに知らない。この場を借りてお詫びを申し上げたい。勿論目がさめれば又、彼はグランドに復帰した。そうした事とか、彼と同学年で、県立兵庫高校との試合でドリブル中、向こうずねにセイビングを受け複雑骨折をして部に復帰した北木という男とか、私達の3年生の時には、2年生に勇ましい後輩が育ってきたように思う。

 当時、隣りの商大ラグビー部に練習で疲れきったところへ練習マッチを申し込み、卑怯にも勝った事とか思い出はつきない。

 最後になったが顧問の清水先生には公私共お世話になり感謝している。

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13回生 (S.36卒) 部員


 西 田  忠 美
 塚 越  好 男
 阿 部  徳 次
 北 川  秀 敏
 堀 上  統 央
 坂 本  元 男
 秋 月   透
 畦 地   勝
 中 松  真 清
 柳 内  春 樹
 辻 川  光 宏
 津 倉  宏 樹
 五 味  清 通
 木 村  和 弘