当時を振返って
4回生(昭和27年卒) 境谷 冽
校長 中田光男先生 ラグビー部々長 須藤義男先生
ラグビー部キャップテン マネージャー 境谷 冽
星陵高校普通科 須磨区・垂水区の神戸一中・二中・三中・四中
商業科 長田区一部・須磨区・垂水区・県商・神港商
(旧制併設中学校から)
昭和24年秋頃、普通科、石田博和氏(神戸二中ラグビー部在部)から「普通科の経験者で選手を編成するのでラグビー部をつくって呉れ」との依頼があった。学校の事情が分からないとのことだった。
県商の校舎であり、在校生も県商の生徒が多かった。
25年春を目指し、中田キャプテンの強面で各運動部を根廻して、運動部の全体会議で無事承認され、予算会議で20,000円を獲得し、新設出来た。
ところが、石田氏から大学受験勉強のため、普通科からは参加出来ないとの申し出があった。
部員は10名~12名程度で、試合の時は野球部やサッカー部、陸上競技部からの応援でしのいでいました。
翌25年、全国大会兵庫県予選で甲南高校に30-0で敗退しました。
25年頃の部費ではボール1個の購入がやっとで、練習時は校庭で長そでシャツを黒の染料でドラム缶の中で染めて着ました。
隣校の神戸商科大学ラグビー部の協力で常に練習、指導を受けました。当時の是永昭二氏は少年ラグビースクールで近年まで尽力されました。甲南高校戦はユニフォームやスパイクシューズは全員の分がなく、国鉄、神戸製鋼所の先輩の協力で借着の参加でした。
26年は部費30,000円を獲得、待望のユニフォーム、スパイクシューズを購入出来ました。全国大会兵庫予選は加古川高校に30-0で敗退しました。
当時、校庭は固く、擦過傷を負えば必ず化膿するため、雨中の練習、試合が楽しみでした。さらに、戦後まもなくで、食糧事情が悪かったことも思い出として残っています。
その後、鈴蘭台高校、神戸貯金局との対抗戦を定期的に行ないました。勝ったり、負けたりでした。
現在では考えられませんが、神戸製鋼所の部員に先輩がおられたため、JR灘駅南側のグランドでの練習に参加させて頂きました。本格的な練習までの60分~90分程度でしたが、とても充実していました。
4回生 (S.27卒) 部員
駒 沢 成 浩
境 谷 冽
立 田 安 二
中 田 孝 一
浜 崎 収
新 川 雅 英
山下(金山) 秀 善
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